氷の都の物語

氷都八戸在住のディレクトールが八戸の奥ゆかしさや自身の事などを日常の風景を織り交ぜながらお話していきたいと思います

『氷都物語』 第1話 ディレクトールの自己紹介

初めまして。

 

こんにちわ。

 

本ブログ  ディレクトールのKyle(かいる)

です。

 

まずはブログを始めようと思った理由を

お話ししますね。

 

1977年生まれのディレクトールが

小学生だった頃‥

 

八戸市(はちのへし)の人口は

【24万人】でした。

 

(因みに、八戸市青森県の南東部に位置します)

 

ところが、2018年6月末時点で

【230,626人】になっています。

 

あと、600人強が亡くなるなり、八戸市を離れてしまうなりすると、22万人になってしまうのです。

 

‥‥素直に寂しい。。(´・_・`)。。

 

と、いうわけで、少しでも八戸市の魅力を

全国津々浦々にお住まいの皆様にお届けし、少しでも知ってもらえたらなぁと思っております。

 

八戸市ってこんな所》や

八戸市の今昔》や

ディレクトールの今昔》などを

 

ゆる〜く盛り込んで行きたいと思っております。

 

 

進学で離れてしまった方々には八戸ってこんな所だったなぁと思い出していただいて、

これから田舎に引っ越したいなぁと思っている方には、候補の一つにでも挙げていただけたら嬉しく思います。

 

 

さて、ワタクシが嬉しく思っておりますのは、通信、伝達ツールの発展でございます。

 

ワタクシが高校生の頃、

ルーズソックス全盛期でありました。

女子高生の必須アイテムは、

 

・ポケベル  &  テレカ(テレフォンカード)

・カメラ(ウ◯るんです等)

・写真を入れる小さめのアルバム

・システム手帳(にプリクラシールを貼る台紙を挟む)

 

でした。

今はこれが全部スマートフォンの中に収まっています。

感動です。

 

ディレクトールの今昔》

1995年    ポケベルを持つ

               (高校3年生でした。授業の終わりに

                   ピリピリ鳴って焦りました)

1996年    phsを持つ

                ・ショートメールが出来た

                ・着メロも出来た(本当にメロディ

                    のみ)

                (理美容専門学校生でしたので、

                    割と自由でした)

1997年    携帯電話発売

                

1998年    ケータイ電話に付属させて写真を

                撮り、それをケータイ会社のプリン

                ト機に繋ぐと写真が現像できるよう

                になった。

 

1999年    ケータイ電話でインターネットが

                使えるようになった。

                因みにEZwebを使っておりました。

 

そして2000年代に入り、ケータイ電話も進化していったのです。

今では、ガラパコスケータイと呼ばれている、

二つ折りのケータイや、スライド式のケータイがありました。

ワタクシはウォークマンケータイが好きでした。沢山、音楽を聴いたものです。

そして、

2010年    iphon4に移行して以来、

                iphonユーザーでございます。

 

最初にiPhoneを手にした時に、一週間くらい悪戦苦闘しました。

その間、壁にぶん投げてやりたくなった衝動は数知れず。

Wi-Fiも、なんせ八戸市ですから、田舎ですから、家の中で起動させてもウンともスンとも言わず、凍える2月にお外に出て、30分くらい格闘した覚えがあります。

(実話です。本当に一個の作業をするのにそのくらいの時間を要しました)

 

思えば、ルーズソックスで頭にぼんぼりをくっつけて、ポケベルを持っていた頃、公衆電話で無言で日本語マトリクスをプッシュしていた私達。

 

。。遠い目。。

 

しかし時は流れ。

 

周りを見ながら、手探りではありますが、調べ調べしながら、何とか使いこなして行こうと思っている次第であります。

 

どうぞ、よろしくお願い致します。。

 

f:id:director-Kyle:20180829075747j:image