氷の都の物語

氷都八戸在住のディレクトールが八戸の奥ゆかしさや自身の事などを日常の風景を織り交ぜながらお話していきたいと思います

『氷都物語』 第4話 学校編

星空を屋根に  大地を寝床に

 

どうも。

小学校の音楽会で、「流浪の民」を歌った思い出のある、ディレクトールのかいるです。

 

因みに、午前中が「合唱の部」

午後が「合奏の部」でした。

 

本日は

《学校》

を、テーマにお話をしたいと思います。

 

1,給食

学校といえば給食です。

結論を言います。

今も昔も、八戸市民が大好きな給食、

それは・・・

じゃじゃ麺】です。

(全員とは断言出来ませんが、ワタクシが会った方々は皆さん大好きでした。そして、この話は盛り上がる)

 

なんだ、普通に売ってるじゃないかと

お思いの皆様、違うのです。

 

学校給食で出てくる【じゃじゃ麺】が

大好きなのです。

 

愛してるのであります。

 

卒業してから、家庭で学校給食のじゃじゃ麺を再現しようとした八戸市民は、ワタクシだけではないハズ❗️

 

健闘虚しく、味の再現は未だに出来ておりません・・・。

 

と言う訳で、突然ですが、

✨《ディレクトールの独断と偏見による

                              給食の今昔あるある〜》✨

※今の協力は平成生まれの方にして頂きました

 

今  →  麺の日はテンション上がる

昔  →  麺の日はテンション上がる

 

今  →  牛乳はパック

           飲んだ後はパックを開いて洗う。

昔  →  牛乳はビン

           そして蓋でメンコをする。主に男子。

            (蓋は紙製で丸い物だったのです)

 

 

2,ズック

ズックって何❓と思われた方々。

 

履き物の事です。

八戸市では、「中ズック」「外ズック」なのであります。

字から分かる通り、中ズックは上履きの事で、外ズックは外履きの事でございます。

 

因みにディレクトールはズックが方言なのを20歳位まで知りませんでした。

幼児語だと思っていて、他県の皆様も子どもの頃には「ズック」と言っていると思っておりました。

 

故に、小学校までは「ズック袋」なる物が必要であります。

先生方も普通に

「土曜日だから、ズック袋にズック入れて持ち帰れよ〜」

と仰います。

ディレクトールの小学校時代は、土曜日はお昼まで学校がありました。給食はないのです。中学校に上がった頃、ようやく隔週で土曜日がお休みになりました)

 

 

3,冬はブーツ

やはり雪が降るので、道路が凍るので、冬は「スノーブーツ」が必要でございます。

そして、ブーツの底にはスパイクが付いております。

八戸の冬は道路がアイスバーンになるため、その氷に引っ掛けて歩くのです。

スパイクは収納式で、乾いた道路の時は爪を出さないでおいて、道路が凍ったら爪を出します。

 

冬は雪よりアイスバーンが敵❗️

(車を運転する大人もです)

(女子高生は冬はムートンブーツ)

 

 

4,学校はプール付き

なんせ田舎なので、学校の敷地はとても広いのです。大体の小、中学校にプールが付いています。

 

夏休みの宿題として、

「プールに◯回以上来る事」

というものがあります。

そして、お天気によりプールに入れない日もあります。

 

プールに入れる日  →  白旗

プールに入れない日  →  赤旗

 

これは、学校まで来ないとわからないのであります。

せっかくプールで泳ごうと、意気揚々と学校に着きましたのに、風にそよぐ赤旗を目にした時には、酷く落ち込んだものです。

 

 

5,冬の体育はスケート

これは、ディレクトールの小学校時代でございます。

週に一度は、近くのスケートリンクにバス🚌で行って、滑って帰ってきたものでした。

故に殆どの子が、Myスケート靴でした。

大体、3.4時間目を使います。

帰ってきてから給食を食べるので、お代わりしたい人が続出しておりました。

そして5時間目には皆様、睡魔に襲われるのです。

 

今は、2学期に一回、3学期に一回のスケート教室になりましたね。

 

それでも学校のカリキュラムにスケートが含まれているところは、氷都だなぁと思うのであります。

 

 

6,先生は怒る時は、いつもよりなまる❗️

     

 

以上、学校あるあるをお送りして参りました。

 

 

因みに番外編として、

ディレクトールの小学校は第1校庭と、第2校庭とがありました。

第1校庭と第2校庭の間に階段があって、階段の上に国旗校旗掲揚塔がございました。

その脇には花壇があり、その横には木が植えられていましたが、隙間がありましたので、階段を登らずにその隙間を登ったりしていたものです。

ある日、社会科の授業の時に、先生が校庭に集合と仰るのです。

何かと思っていましたならば、校庭に落ちている細い木を持ちなさいと言われ、そしてその坂になっているところを掘って見なさいと。

そして言われた通りに掘りましたならば、縄文土器のカケラがわんさかわんさか出て来るじゃありませんか。

ディレクトールはすっかり縄文土器の虜になってしまったのです。

ここで、懺悔致します。

ワタクシはその土器を持ち帰り、自宅の庭を掘って埋めました。・・・。

ごめんなさい。悪気はないのです。

自宅の庭に、

「遥か昔の文明の土器が埋まっていたら浪漫がある」

と思ってしまったのです。

幼心故なのです。

 

今はもう何処に埋めたのか、忘れてしまいましたが、今なお自宅の庭には、縄文土器のカケラが静かに眠っている事でしょう。

 

 

 本日はここまで。それでは良い一日を。