氷の都の物語

氷都八戸在住のディレクトールが八戸の奥ゆかしさや自身の事などを日常の風景を織り交ぜながらお話していきたいと思います

『病院物語』 第11話 ディレクトールは腸が弱かった

大腸。小腸。十二指腸。そして盲腸。

 

腸のお話し。

 

どうも。ディレクトールのかいるです。

 

 

今回は、《手術》です。

 

ディレクトールは、子供の頃、何故か腸が丈夫ではありませんでした。

 

 

未就園児時代。

小学校へ上がる前でございます。

この頃の記憶は薄らぼんやりでございますので、母親から聞いた話を元に構成しております。

 

ワタクシ、何やらお腹の辺りを気にしておりましたようです。

気になった母が病院に連れて行きましたならば、

 

「鼠径ヘルニア」

 

と、診断されました。

(鼠径ヘルニアとは、いわゆる脱腸の事です)

 

《手術》です。

 

その夜、麻酔が切れて痛がって泣いたそうです。

 

今にして思うと、神経質な子どもでしたので、

保育園でウンチをするのが恥ずかしかったのです。

それで、我慢してお家に帰ってからしておりました。

当然、便意が無くなりますので力んでしまいますよね。

それで、腸がポコンと飛び出したのでしょうか・・・。

 

 

 

小学校5年生。

ディレクトールが小学生の頃、朝に体力づくりの時間がありました。

夏場は、校庭で5分間マラソン

冬場は、体育館で縄跳び。

 

運動が大好き子でしたので、いつも元気に走り回っておりました。

そんなある日、運動をしていて脇腹が痛くなるのは、まぁ有ります。

ところが、下腹部右側が何やら痛い。

 

と、思いまして母に話しましたところ、

病院に連れて行かれました。検査の結果は、

 

「盲腸」

 

と、診断されました。

 

《手術》です。

 

一週間ほど、入院致しました。

小学校高学年の頃ですので、少し記憶があります。

 

クラスメイトが、お手紙を書いてくれました。

盲腸ですので、手術後にオナラが出ると、腸の機能が正常に戻ったという事でしたかしら。

そして、手術しておりますので、笑うと傷口は痛いのでございます。

 

さて、クラスの殆どの皆様は心配してのお手紙を下さいました。

一部男子の方々は、人を笑わせようと面白くお手紙を書いて下さいました。

 

「痛たたた」

 

と、お腹を抑えながら読んだ事を覚えております。

クラスを離れていたのは10日程でしたが、退院後に初登校した日は何やら気恥ずかしく、教室に入るのを躊躇っておりましたが、先生と一緒に教室に入りましたならば、何故か拍手を貰いました。

 

楽しい思い出でございます。。

 

何方の手術も、前回同様に神外科医院の神先生にお世話になりました。

 

ありがとうございました。。

 

 

 

こうしてみると、毎年必ず、手術か怪我の治療でお世話になっていたなぁ。

病院の看護婦さんとも(当時は呼び名が看護婦さんでしたので、そのまま使わせて頂きます)仲良しになりまして、入院中のワタクシの渾名は、

 

『元気印』

 

で、ございました。

 

❓元気だと病院のお世話になるのかしら❓

 

 

 

その後、お腹関係の悩み事は殆どありません。

 

 

中学3年生の頃に、夏期講習で一回だけ授業中にお腹が痛くなりましたが、

(授業中に手を挙げて、理由を話し、教室から出るのは気恥ずかしさ満点でごさいますよね)

それ以降は無しです。

 

 

基本的に『快眠』『快食』『快便』の日々です。

(妊娠時には、妊婦さんは便秘になりやすいと聞いておりましたが、ディレクトールは無縁でした)

 

 

 

代わりにと言っては何ですが、喉が弱いです。

 

 

幼少期、児童期は怪我や腸が弱かったのですが、高校生からの思春期以降は、喉が弱くなりました。

 

冬場も夏場も関係無く、気をつけなければなりません。

直ぐに、扁桃腺を腫らしてしまいます。

溶連菌も暴れ出します。

 

 

因みに、ディレクトール。

耳鼻咽喉科もかかりつけがございました。

そちらの看護師さんとも、仲良くなりました。

 

喉を腫らして病院に行きましたならば、

 

『コース』

 

がございました。

 

 

喉鼻吸入(喉とお鼻の吸入があるのです)

お注射(抗生物質

点滴(栄養剤50cc、ブドウ糖200cc)

 

 

点滴の時間は、「お眠タイム」です。

ゆっくりにしてあげるから、寝て行きなさいと、看護師さんに言って頂いておりました。

 

因みに、長い時間だとおトイレに行きたくなりますので、腕の血管に針が刺さっておりますと、腕を曲げれずにトイレでの作業が大変やり難いので、

手の甲の血管に、点滴の針を刺して貰っていました。(これが、中々便利でした)

 

 

ワタクシ、血管が非常に見やすいそうです。

 

 

遺伝をありがとう、母上。。

 

 

そして、身体の弱さの遺伝もありがとう。。

 

ディレクトールの母も身体が弱く、生まれたばかりの頃、お医者の先生に「この子はこのままだと生きれない」と言われ、先生とお婆ちゃまが必死に生かしたと、聞いた事がありました)

 

 

手術や怪我が多くて、ワタクシを育てている頃の、父、母の心境を思うと、

それでも良くお外に出して自由に遊ばせていてくれたなぁと、改めて感謝しております。

 

本当にありがとう。。

 

 

皆様はどんな子ども時代でしたでしょうか。

 

 

それではまた。良い一日を。。

 

 

追記:

ディレクトールの運動神経の良さは、98%父からの遺伝です。

母は身体が弱かったので、「歩く」以外の運動を殆どせずに過ごして来たそうです。

見本のような運動音痴です。

 

・走れません

・泳げません

・自転車に乗れません

・バレーボールをすると顔面レシーブ

 

そんな母ですが、ワタクシはとっても可愛いく思っております。。(*´ω`*)