『氷都物語』 第14話 南部人の気質
おだまっこみったに とっくりしてなせ
お人形さんみたいに 大人しくしていなさい
(していなさいの所は柔らかい感じです)
どうも。
昔から付く渾名は
のディレクトールのかいるです。
本日は
《南部人の気質》
について、ディレクトールなりの考察をしてみましたので、お話ししたいと思います。
それは、「いがふりこぎ」だという事。
これは、格好つけという意味です。
あと、「しょしぱり」だという事。
これは、恥ずかしがり屋という意味です。
自身の体験を交えてお話ししますね。
ディレクトールが小学生の頃、子ども会のキャンプがありました。
キャンプと言えば、夏。
夏と言えば、スイカ割り。
スイカ割りと言えば、そう、
目隠しをしてグルグルと回ってから、周りの人達の声を頼りに、スイカの場所まで行き、
「ここだ」と思うところで、高く持ち上げた棒を振り下ろす。
なるものです。
ところが、此れは面白くするためにワザと別の方向に誘導したりもするのです。
悪気はなく、楽しむためなのです。
ところが、まだ、心が幼かったディレクトール。
ワタクシはカッコ良くスイカを割りたかった。
颯爽と。
そして、真っ直ぐ進めないのを笑われるのが嫌だった。
とっても。
とうとうディレクトールは泣き出してしまいました。
父親に慰められたのを覚えています。
上記のお話には、先ほどの「格好つけ」の面と「恥ずかしがり屋」の面が両方とも入っています。
今は大人になり、何でも、どんな状況でも楽しめるようになりましたが、
本当に子どもの頃は、神経質だったなぁと思います。
さて、この格好つけなのですが、
「南部のわんつか(ちょっぴり)残し」
という言葉があります。
これは、ご飯を皆んなで食べている時に、大皿盛りのお料理があった場合、
例えば唐揚げ。
3人で食べている時に、残りが2個になりましたら、誰も手をつけません。
これは本当にそうなのです。
何故かというと、
「私はいりませんので、皆さんどうぞ」
の気持ちなのです。
例えまだ満腹ではなかったとしても、何となくこの気質はあります。
「最後の唐揚げいただきっ」
と、食べてしまう事が何となく格好が悪いと、恥ずかしい事だと思っているのです。
(但し、かしこまった場合です。気心の知れた仲では、残さず食べます)
勿論、ディレクトールも友人宅に行けば、出されたご飯を残さずペロリと平らげます。
美味しいご飯を作ってくれてありがとうの意味を込めまして。
そして、もう一つ理由があります。
例えばお家にご招待されて、もてなされたとしましょう。
その時には、
「食べきれないほどの量を出して頂きまして、ありがとうございます」
の、意味があります。
これは、昔々の貧しさが残る時代の、気持ちの優しさの表れだと思います。
恐らくもてなす側もそんなに沢山のお料理を出すことが出来なかったと思います。
それでも、おもてなしをしてくれてありがとうという、「もてなされる側のおもてなし」
なのですね。
相手に恥をかかせないという気持ちもあったかと思います。
勿論、現代ではそんな事もなく、おもてなしをするに十分なご飯を用意する事は出来ますが、
この「もてなされる側のおもてなし」の気持ちだけは、受け継いで行きたいと思っております。
こんな格好つけなら、ディレクトールは大好きです。
余談ですが
ディレクトールは子どもの頃におばぁちゃまに、
「ご飯一粒には、神様が7人入っているから残さず食べるんだよ」
と、教わりました。
そして、その通りにしています。
このおばぁちゃまの言葉が大好きです。
単純に「勿体ないから残さずに食べなさい」と言わずに、
(勿論、残すのは勿体ないし、作ってくれた方に申し訳ないので、正しい事を言っています)
残したら神様が悲しむから全部食べるんだよと、物質的な理由でなく精神的な理由を子どもに伝える。
(勿論、大人になれば何故大人がそういう風に言ってたかを理解出来るようになる事も考慮しています)
この南部人の気質も大好きです。
如何でしたか❓
恥ずかしがり屋で、格好つけで、引っ込み思案。
でも、奥ゆかしさも、気遣いも独特の気質を持っている八戸の人の魅力が少しでも伝わる事を願いまして、
今日はこの辺りで、どっとはらい。
ではでは。また。明日も良い一日を。。