氷の都の物語

氷都八戸在住のディレクトールが八戸の奥ゆかしさや自身の事などを日常の風景を織り交ぜながらお話していきたいと思います

『氷都物語』 第21話 ぶりっ子談義

どうも。

 

どちらかというと、ぶりっ子擁護派の

ディレクトールのかいるです。

 

 

さて、上記に記した通り、ワタクシはぶりっ子擁護派でございます。

 

 

と、申しますのも、昨今の世間一般の認識としてのぶりっ子の定義に、ワタクシ自身も当てはまると思うからであります。

 

 

例えば、『一人称名前呼び』

 

ワタクシは、小学生の頃、母親が「かいるちゃん」とちゃん付けで呼んでおりましたので、自分の呼び名はかいるちゃんだと思っておりました。

 

友人と遊んでいたある日、

「かいるはなんで自分の名前にちゃんって付けるの?変だよー」

と言われ、

「じゃあ、〇〇子は?」

と聞き返しましたところ、

「〇〇子は〇〇子って言うもん。自分にちゃん付けないもん」

と言われ、『なるほど』と納得しまして、

「じゃあ、かいるもかいるって言う。自分にちゃんは付けない」

と言ってから、久しく一人称は名前呼びをしておりました。

 

そして、ワタクシの周り。

半分くらいは一人称名前呼びでした。

 

勿論、いつもいつもではありません。

文章を書くときや、先生とお話しする時には、一人称は『私』を使っておりました。

 

 

さて、ここで不思議な事が・・・。

 

その昔は、『一人称名前呼び』をしていて特にぶりっ子だとか言われた事はありません。

 

 

ディレクトールの考察】

 

恐らく、各々自分に合った呼び方をしていたからです。

 

自分のために自分の一人称を決めていれば、

他人の一人称なんか気にならないのです。

 

でも、

他人のために自分の一人称を決めていれば、

他人の一人称が気になるのです。

 

〔名前呼びしたらぶりっ子って言われるから、私は『私』って言ってるのに、どうしてあの子は・・・と、気になってしまうのです。〕

 

 

そんな方に、アドバイスです。

 

一回、自分も名前呼びしてごらん。

世界観が変わるかもよ。

 

 

皆様、自分のために生きましょう。

 

 

こうして見てみると、昔はぶりっ子の定義ではない事が、今はぶりっ子の定義に当てはまるという事があります。

 

そして、ディレクトールは自分を定義に当てはめてどうしようと考えて生きるより、自分らしく生きたいので、

今の世間一般の定義では、恐らくぶりっ子になります。

 

勿論、もう名前呼びはしておりませんが、

只、ワタクシが名前呼びしていた時から付き合っている友人達と一緒の時は、出る時があります。

 

それはそれで、良しと思っております。

 

 

 

さて、定義問題は一旦置いておきまして。

 

 

 

もう一つ。

 

 

声を大にして言いたいのが、

 

ぶりっ子  =  性格悪い

 

じゃ、無い❗️❗️❗️❗️

 

 

性格が悪いのは、本人の責任❗️❗️❗️

 

 

ぶりっ子だろうが、ボーイッシュだろうが、大人びていようが、幼かろうが、そんな事は関係ない❗️❗️

 

 

性格悪いのが、ぶりっ子側に寄って来られると、

素でぶりっ子が迷惑します❗️

 

(ここで一つ。

「性格が悪い」の定義がまた難しいのですが。

  例えば、A氏にとっての悪がB氏にとって悪ではない場合を考慮すると「悪い」という認識を共通で持っていないないので、また細かな区分けが必要になります。

なので、単純に、「人に対して意地悪である」という定義にさせて頂きます。

❇︎この意地悪についても、ディレクトールは思うところがあるので、後ほど書かせて頂きますね)

 

 

という事。。

 

 

 

あとね、女の子なの。

 

一生懸命、可愛くて、何が悪い。。

 

 

そう思いますよ。

(勿論、大人の女性には大人の女性の可愛らしさがあって良いと思います)

 

 

 

と言うわけで、現在ワタクシはぶりっ子擁護派で、生きていきたいと思っております。

 

 

 

ではでは、また。良い一日を。。