『氷都物語』 第22話 意地悪の許容
どうも。
本日は枕の挨拶無しの
ディレクトールのかいるです。
さて、本日のお題は、
『意地悪の許容』
と、致しました。
これは、どういう事かと申しますと・・。
人間は意地が悪い所もあったりするのです。
どんなに否定しても、そうなのです。
何故なら感情があるので、意地の悪い事を考えられる生き物なのです。
さて、ここで許容と言いますのは、
ワタクシは、
《人に話せる意地悪までならしても良い》
と思います。
例えば、実話ですが・・。
ディレクトールには2歳離れた弟がいます。
幼い頃からずっと一緒で、いつも一緒に遊んでおりました。
ところが、年が離れておりますので、出来ることに差があります。弟は私の真似事をすると、転んで膝を擦りむいて泣いてしまいます。
そうなると、母がやって来て、
「お姉ちゃん、弟の面倒を見てあげて」
と、ワタクシが注意を受ける。
ですので、時折手加減して遊んでおりました。
そしてまた、両親共働きですので、
夏休みや冬休みは祖父母の家に預けられておりました。
おじぃちゃまも、おばぁちゃまも大好きでございます。
それは、ワタクシも弟も変わらないのですが、弟は、ほぼ毎回愚図っておりました。
その度に、母とワタクシで宥めて、祖父母家に連れて行っておりました。
そんなある日、弟が珍しくぐずりません。
あ、これはチャンスかも。
と、ワタクシは思いました。
心理としまして。
ワタクシも小学校の4年生、10歳です。
物事は把握しておりましたので、
祖父母の家に行かなければならないのはわかっておりました。
そして、おじぃちゃまもおばぁちゃまも大好き。
ただ、一回くらいはワタクシも
『愚図って、母に宥められたい』
と思っておりました。
さぁ、チャンスが来た。言うぞ、と思った次の瞬間、
「僕、行きたくない」
と、弟が言うではありませんか。
あ、と思いました。
そして母が、
「そんな事言わないで。ね、お姉ちゃんも一緒だし、楽しいよ」
と、ワタクシの目を見て言います。
そうなったら、もうワタクシは言えません。
ため息一つ。
「そうだよ。お姉ちゃんも一緒に行くから、大丈夫だよ。宿題も教えてあげるね。マンガ本も貸してあげるからね」
と、言うしかありません。
小学生なのです。
弟のことは大好きで、それこそ、目に入れても痛くないくらいには可愛いのですが、ストレスは溜まります。
そして、お正月でございます。
祖父母のお家の廊下はとっても広いので、小学生が走り回って遊ぶのにちょうど良いのです。
そして、階段は向こう側が見えるようになっていて、板が敷いてあるという感じです。
弟と鬼ごっこをしておりました。
弟の方が走るのは遅いので、弟が鬼の時は、ワタクシは時々捕まったり、また、ワタクシが鬼の時は直ぐに捕まえないように、気をつけておりました。
ところが、ちょっと疲れてしまいまして、でも、お姉ちゃんの意地もあるので、捕まりたくもない。
という事もありまして、階段に登ってお休みをしました。
下で弟が寂しそうに言います。
「お姉ちゃん、おりて来てよ・・」
ワタクシはわかっているんです。弟が怖くてこの階段を登れない事を。
で、敢えて言うわけです。
「弟くんも、登って来れば良いじゃん」
そして、弟は泣きそうになりながら、呟きます。
「だって、僕・・登れないもん・・・」
ちょっぴり胸がスカッとします。
でも、お姉ちゃんなので、暫くすると弟が可哀想になってしまうのです。
そして、泣き出す前に降りて行って、
「しょうがないなぁ。ね、お姉ちゃん、降りて来たでしょ。一緒に遊ぼう」
と、言いながら頭をポンポンするのでありました。
すると、弟は目に涙を溜めて、嬉しそうに
「うん」
と、頷くのでした。
もう正に、「今泣いたカラスがもう笑った」状態で、とっても可愛い。
幼心に、お姉ちゃんの醍醐味ってコレよね。
と、思っておりました。
と言うわけで、
《しても良い意地悪は、人に言えるものまで》です。
階段を登るのが怖い弟に向かって、それを知っていて、登ったら良いじゃんと言うのは、他でもない、意地悪です。
勿論、意地悪自体は良い事ではありません。
駄目な事です。
でも、姉弟なの。友達なの。
一緒にいたら、時々意地悪したくなる事もあるんです。
でも、だからと言って、そんな時には、本当に酷い意地悪にはならない。
だって、姉弟だもん。友達だもん。
大好きなんだもん。
好きから生まれる優しさも持っています。
そんな気持ちを包含しながら、兄弟関係、お友達関係が続いて行くのではないでしょうか。
皆さんは、如何お思いですか❓
ではではまた。良い一日を。
追記。
「人に言えるまで」という事が大事なのです。
人に言った時に、
「あー。しょうがないよね。そんな時もあるよ」
と言ってもらえるか。
「いや。お前、それは駄目じゃん。酷いよ」
と言われるか。
前者は「許容の範囲内」であり、後者は「許容の範囲外」です。
この、「許容の範囲内」までも、取り締まってしまうと、人間は社会の中で生きにくくなってしまうと思います。
何故なら、人間なの。
完璧な良い生き物ではないからです。
良いところあり、駄目なところあり。
強いところあり、弱いところあり。
得意なところあり、不得意なところあり。
優秀なところあり、お馬鹿なところあり。
優しいところあり、意地悪なところあり。。